701年の大宝律令によって整備された令制国という枠組みは、その後1000年近く地理区分としては生き残りましたが、実際に誰が土地を治めるかという「実権」は、平安時代から鎌倉時代にかけて大きく移り変わっていきました。その主役が、貴族から武士への交代です。
荘園 — 貴族・寺社が支配した私有地
平安時代、朝廷から任命された国司が治める「公領」とは別に、貴族や寺社が所有する私有地「荘園」が全国に広がっていきました。地方の豪族や有力農民は、自分の開発した土地を有力な貴族や寺社に「寄進」することで税を逃れたり、土地の安全を確保したりするようになります。
治安の悪化で「武士」が生まれる
平安時代の末期になると治安が悪化し、地方の豪族や有力農民は自分たちの土地を守るために武装するようになります。これが「武士」の始まりです。11世紀後半には、武士たちは荘園や公領に館を構えて地方社会の実質的な中心になっていきました。
鎌倉幕府が「守護」「地頭」を全国に設置
1185年、源頼朝は対立していた弟・源義経を捕らえることを名目に、国ごとに「守護」、荘園や公領ごとに「地頭」を置くことを朝廷に認めさせます。これにより、武士たちは鎌倉幕府に仕える「御家人」として、地頭に任命される代わりに自分の領地の支配権を幕府に保証してもらう仕組みが全国に広がりました。
まとめ
鎌倉時代には武士による地頭の任命が荘園の秩序に入り込み、室町時代には守護大名がより広い範囲を支配するようになり、戦国時代にはさらに地方の勢力が自立していきます。こうして貴族から武士へと実権が移っていった先に待っていたのが、江戸時代の藩体制です。
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