今の日本には47の都道府県があります。この数字が確定したのは、実は江戸幕府が終わってすぐではありません。1871年(明治4年)7月の廃藩置県から数えても、17年ほどの試行錯誤を経ています。
まず3府302県、そして72県に
廃藩置県が行われた直後の日本は、東京・大阪・京都の3府と、旧藩がそのまま県になった約302の県という、今からは想像もつかない数の行政区画に分かれていました。同じ1871年の11月には、これらが72県に統合されます。江戸時代の藩の領地をそのまま引き継いだ小さな県が乱立していたため、統治の効率化のために急ピッチで整理が進められたのです。
47の形になったのは1888年ごろ
その後も合併と分離を繰り返しながら数が絞り込まれ、3府43県1庁(北海道庁を含む)という、ほぼ現在の47都道府県の枠組みが整ったのは1888年(明治21年)ごろのことでした。廃藩置県から数えて17年が経過しています。「1871年に一気に47になった」というのはよくある誤解で、実際には段階的に整理されていった結果なのです。
もし「幻の28道府県案」が実現していたら
実は明治時代には、47よりもっと少ない道府県数にまとめる構想も存在しました。例えば栃木県・群馬県・茨城県を統合して「宇都宮県」にする案などが検討されたことがあります。もしこうした再編案が実現していたら、今の役所の窓口の数や、それぞれの町の帰属もまったく違う姿になっていたかもしれません。
まとめ
47都道府県という区分けは、単に「昔からそうだったから」ではなく、明治政府が中央集権国家を作り上げる過程で、合併・分離を繰り返しながらたどり着いた一つの到達点です。この後の日本では、さらに小さな単位である市町村のレベルでも、大規模な統廃合が3回にわたって行われることになります。
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