日本地図を見ると、都道府県の境界線はまっすぐではなく、複雑に入り組んでいます。この境界線がどうやって決まったのかをたどっていくと、実は廃藩置県よりもさらに古い、飛鳥・奈良時代にまでさかのぼります。
ベースになっているのは「令制国」
現在の都道府県の領域の多くは、飛鳥時代から奈良時代にかけて整備された「令制国(りょうせいこく)」――北海道・沖縄を除く67の国の区分――を土台にしています。江戸時代にはこの国境がほぼ現在の県境に近い形にまとまっており、明治政府はこれを人口などを考慮しながら合併・分割し、微修正することで今の47都道府県の形を作り上げました。
県境は「山」が多く、「川」は意外と少ない
直感的には、川が県境になっているケースが多そうに思えますが、実際にはそうではありません。人は昔から、川沿いの平地とその流域を一つの生活圏・経済圏として暮らしてきました。そのため、生活圏の外縁にあたる分水嶺(山地・山脈)が、そのまま国と国、そして県と県の境界になることが多いのです。例えば、奥羽山脈は東北地方を太平洋側と日本海側に分け、中国山地は山陰・山陽を分け、越後山脈と関東山地は関東地方と中部地方を隔てています。
山頂・稜線が境界と一致しないことも
面白いことに、山の頂上や稜線が必ずしも県境と一致するとは限りません。歴史的な経緯(古い荘園の境界や、江戸時代の藩の実効支配の範囲など)がそのまま引き継がれ、地形的に見ると不自然な位置に境界線が引かれている場所も全国に存在します。
まとめ
都道府県境は、古代の令制国という土台の上に、明治政府による微修正が加わってできあがったものです。そしてその境界線の多くは、川ではなく「人が暮らす流域の外側にある山」によって形作られています。皆さんの町の県境がどんな地形の上に引かれているか、日本地図で確認してみるのも面白いかもしれません。
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