江戸時代の藩を語るうえで欠かせないのが「参勤交代」です。1635年(寛永12年)、3代将軍徳川家光の時代に武家諸法度で正式に制度化され、以後約230年間続きました。
すべての大名が江戸と領国を1年交代で往復
参勤交代の仕組みはシンプルです。全国の大名は毎年4月中に江戸へ参勤し、領国と江戸を1年ごとに交代で居住することが義務づけられました。江戸には大名の妻子を人質同然に住まわせ続けることも求められています。
加賀藩は最大4,000人規模の大行列
大名行列の規模は藩の石高によってさまざまでした。100万石を超える加賀藩(前田家)では最大4,000人規模、多くの藩でも2,000〜3,000人規模の行列を組み、小さな藩でも最低100人規模の行列が必要だったとされています。
費用は大名の年収の4分の1にも
この参勤交代にかかる費用は、大名の年収(石高に基づく収入)のおよそ25%に相当したといわれています。江戸屋敷の維持費と合わせると、大名の財政を大きく圧迫する仕組みでした。かつては「幕府が大名の力を削ぐために意図的に導入した制度」という説が有名でしたが、近年の研究では、そうした狙いは結果論に過ぎず、当初の幕府にそこまで明確な意図はなかったとする見方が有力になっています。
まとめ
230年間続いた参勤交代は、大名の財政と時間を大きく費やす制度でしたが、その道中で整備された五街道や宿場町は、後の日本の交通網の基礎にもなりました。
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