1987年(昭和62年)4月1日、日本国有鉄道(国鉄)は6つの旅客鉄道会社と1つの貨物鉄道会社に分割・民営化されました。中曽根康弘内閣による行政改革の総仕上げとされるこの大事業で、なぜ日本は6つのJRに分かれたのでしょうか。
累積債務と組織の硬直化が引き金に
1980年代の国鉄は、膨れ上がる長期債務と硬直化した組織運営に直面し、抜本的な経営形態の見直しを避けられない状況に追い込まれていました。これを解消するための切り札が、地域ごとの分割・民営化だったのです。
境界線は「鉄道管理局」をほぼそのまま踏襲
JRのエリア分けは、まったく新しく引き直されたものではなく、国鉄時代からあった「鉄道管理局」という組織の区割りをほぼそのまま引き継いでいます。20万人以上の職員の移管や膨大な資産の分割を伴う大事業だったため、境界線を新たに引き直すと、車両基地・指令所・乗務員の勤務体系をすべてゼロから再編する必要があり、莫大なコストと混乱を招くと判断されたためです。
本州3社と、北海道・四国・九州の明暗
国鉄の収益は新幹線と大都市圏輸送に集中していたため、本州の3社(JR東日本・JR東海・JR西日本)は経営基盤が安定していると判断されました。一方でJR北海道・JR四国は、輸送人員が少なく、当初から厳しい経営が見込まれていました。
まとめ
JRの6分割は、理想的な地域割りをゼロから設計した結果ではなく、既存の組織構造をできるだけ生かしながら混乱を最小限に抑えるという、現実的な選択の産物でした。江戸時代の五街道が現代の鉄道網の原型になっている地域も少なくありません。
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