「富士山は静岡県?それとも山梨県?」――この素朴な疑問に対する正確な答えは、実はどちらでもありません。都道府県境の多くが山脈で区切られている中、富士山の山頂付近だけは、今も県境が公式に定まっていない「県境未定地」なのです。
江戸時代から「境なし」と記録されていた
江戸時代の地誌『甲斐国志』には、すでに「八合目より頂上に至りては、両国(甲斐・駿河)の境なし」と記されています。つまり、県境が引かれていないという状態は、少なくとも江戸時代からずっと続いてきたものなのです。
山頂は「神社の私有地」
富士山の八合目より上は、実は富士山本宮浅間大社という神社の私有地です。この神社は、古くから繰り返し噴火する富士山を鎮めるために建てられ、江戸時代には徳川家康が八合目以上の土地をこの神社に寄進しました。行政区分としての県境がないまま、宗教施設の所有地として扱われてきたのです。
明治時代の調査でも決着せず
1897年(明治30年)、宮内省御料局が境界の調査を実施しましたが、静岡県側は「8合目を境界にすべき」、山梨県側は「山頂に境界を設けるべき」と主張が対立し、結論は棚上げされました。1951年には両県知事が話し合いを持ちましたが、やはり折り合いはつかず、以後「県境を争わない」ということで合意しています。
まとめ
2013年の世界文化遺産登録を機に改めて注目を集めた富士山の県境問題ですが、両県は今も明確な境界線を定めていません。数百年にわたって「あえて決めない」という選択を続けてきたのも、富士山ならではの特別な事情だと言えるでしょう。
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