「関東地方」「近畿地方」「九州地方」――普段何気なく使っているこの8地方区分(北海道・東北・関東・中部・近畿・中国・四国・九州)には、実は法律上の根拠がまったくありません。この分け方が定着したのは、明治36年(1903年)の第1期国定地理教科書「小学地理」がきっかけだとされています。
「中部地方」は、実は消去法で生まれた名前
8地方区分の中でも、とりわけ成立の経緯が面白いのが「中部地方」です。明治30年代の国定教科書の編さんにあたり、関東・奥羽(東北)・近畿の間に挟まれた地域には、これといったふさわしい名前がありませんでした。そこで編さん者は「ぴったりな名称がないため、しばらくは本州中部地方という名称を使う」として、あくまで暫定的にこの名前を採用したのです。それが今日まで100年以上使われ続けています。
明治時代には9地方区分だったことも
今の8地方区分に統一される以前、明治期の教育現場では「関東八州甲信越地方」「奥羽地方」「本州中部地方」「北州地方」といった、現在とは名称も範囲もまったく異なる9地方区分が使われていた時期もありました。
まとめ
8地方区分は、廃藩置県で確定した47都道府県とは違い、法律で定められたものではなく、あくまで教育現場で定着した慣習的な区分です。「中部地方」という名前に、当時の教科書編さん者の苦肉の策が今も残っていると思うと、見え方が少し変わってくるかもしれません。
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