地域史
群馬県、30年の物語――世界遺産登録の年に133万人、今は4分の1まで減った入場者数
2026年8月3日
2014年6月、「富岡製糸場と絹産業遺産群」がユネスコ世界文化遺産に登録されました。登録初年度となる2014年度の年間入場者数は133万人に達し、全国的なニュースとなる一大ブームを巻き起こしました。しかしその後の推移は急激でした。2016年度には約85万人(前年度比30.4%減)まで落ち込み、2018年度には約52万人に、そして2023年度は36万〜38万人程度と、ピーク時のおよそ28%の水準まで減少しています。世界遺産登録という一度きりの出来事が生んだ熱狂は、10年ほどでほぼ4分の1にまで縮んでしまいました。
人口そのものも、静かに減り続けています。群馬県の人口は2024年10月1日時点で188万9,425人となり、前年から1万1,415人(0.60%)の減少でした。自然減(出生数から死亡数を引いた差)は2024年に過去最大を記録し、国勢調査以降64か月連続で人口減少が続いています。県内人口の6割超は高崎市・前橋市・太田市・伊勢崎市・桐生市という上位5市に集中しており、それ以外の地域ではより厳しい縮小に直面していると見られます。
一方で、太田市を中心とする県東部は、自動車メーカーの主要工場が集積する製造業の拠点として知られています。本工場・矢島工場・大泉工場・北本工場という複数の工場が稼働し、地域経済を長く支えてきました。世界遺産という「文化の集客装置」の効果が薄れていく中で、こうした製造業の存在は、より息の長い経済基盤としての役割を担っています。
世界遺産登録の熱狂が10年で4分の1に縮み、人口そのものも64か月連続で減り続ける。群馬県のこの30年は、一時的な脚光の眩しさと、その後に続く長い日常の縮小という、二つの異なる時間の流れが同居してきた歳月です。
この記事はMACHI.編集部が中立的な立場で執筆しています
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