地域史
香川県、30年の物語――過疎の製錬所の島が、世界的アートの聖地に変わるまで
2026年7月27日
香川県直島は、もともと現代アートの島ではありませんでした。1917年、三菱合資会社がこの島に中央製錬所を開設し、以来100年以上にわたって非鉄金属の製錬を続けてきた「工業の島」です。町の人口は昭和34年(1959年)の7,842人をピークに減少を続け、平成12年(2000年)の国勢調査では3,705人にまで落ち込んでいました。1969年に新製錬所が稼働した頃から合理化が進み、従業員数とともに島の人口も減り続けたのです。
転機は1992年でした。福武書店(現ベネッセホールディングス)がこの島に「ベネッセハウスミュージアム」を開館させます。ホテルと美術館が一体になった、当時としては珍しい施設でした。1998年には古い民家を作品化する「家プロジェクト」が始まり、2004年には安藤忠雄設計の「地中美術館」が開館します。この地中美術館の開館が最大のターニングポイントでした。それまで年間5万人程度だった来島者数は、35万人近くまで増加したのです。
2008年には犬島精錬所美術館、2010年には豊島美術館が相次いで公開され、瀬戸内海の島々全体がアートの舞台へと広がっていきました。そして2010年、瀬戸内海の島々を舞台にした「瀬戸内国際芸術祭」が初開催されます。この芸術祭の開催年には、直島を含む会場全体で約100万人が来場しました。かつて過疎化に悩んだ工業の島は、3年に一度、世界中から現代アートファンが訪れる場所になったのです。
もっとも、この30年余りの変化は観光客数だけを見れば華やかですが、直島町の産業構造そのものは今も大きく変わっていません。町の第二次産業就業人口比率は45.1%と、香川県平均(29.2%)を大きく上回ります。これは三菱マテリアルの銅製錬所とその関連企業が、今も町面積の2割以上を占めているためです。アートと製錬所は、島の中で共存しているのであって、一方が他方を置き換えたわけではありません。
過疎化に沈みかけていた製錬所の島が、現代アートという全く異質な産業を隣に置くことで息を吹き返した30年。直島の物語が示しているのは、地方が生き残る道は一つではなく、既存の産業を残したまま、そこに全く新しい価値を重ねていくというやり方もあるのだ、ということなのかもしれません。
この記事はMACHI.編集部が中立的な立場で執筆しています
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