地域史
青森県、30年の物語――りんごを薙ぎ倒した台風と、戻らない285万人のねぶた
2026年7月24日
1991年9月27日、非常に強い勢力を保ったまま長崎県に上陸した台風19号は、加速しながら日本海を北上し、青森県を直撃しました。収穫を間近に控えていたりんごは軒並み落下し、被害量は38万8千トン、金額にして741億円にのぼりました。全国では死者・行方不明者62人、家屋損壊17万447棟という甚大な被害を出したこの台風は、東北では今も「りんご台風」と呼ばれています。一晩で1年分の収穫を失った農家も少なくありませんでした。
青森県の人口は1983年10月の152万9,269人をピークに減少を続けています。2024年10月時点の推計人口は116万4,752人で、前年から1万9,806人、率にして1.67%の減少です。県の推計では2040年までに100万人を割り込み、約90万人まで減ると見込まれています。台風のような一度きりの災害とは違う、もっと長く静かな縮小が、この30年間ずっと続いてきました。
一方で、交通インフラは大きく変わりました。2010年12月、東北新幹線が新青森駅まで全線開業し、翌年3月には最速3時間10分で東京と結ぶ「はやぶさ」の運転が始まりました。開業直後の3か月間は主要観光施設の利用者数が伸び、八戸・新青森間の乗客数は前年同期比で29%増加しています。県は移住支援金として最大100万円を用意し、新幹線で仙台へ約70分、東京へ約3時間という距離の近さを移住者獲得の武器にしています。
夏の風物詩「青森ねぶた祭」の人出は、この数年で大きく揺れ動きました。コロナ禍前の2019年は285万人を集めていましたが、3年ぶりの開催となった2022年は約6割減の105万人まで落ち込みました。その後、天候に恵まれ大型クルーズ船の外国人観光客も増えた2024年には142万人まで回復したものの、2025年は101万人と再び前年を下回っています。かつての285万人という水準には、まだ届いていません。祭りの熱気の戻り方一つをとっても、コロナ前とコロナ後で青森県の姿は変わりました。
台風で一晩にして失われたりんごですが、産地としての地位は揺らいでいません。2024年産の収穫量は37万500トンで、全国シェアは60.8%と、2位の長野県(17.5%)を大きく引き離しています。ただしこの収穫量は、統計が残る1973年以降で3番目に少ない数字でもあります。花芽が育つ前年夏の高温が影響したとみられ、台風という一過性の脅威に代わって、気候そのものの変化が新しい不安として産地にのしかかっています。
38万8千トンのりんごを一晩で奪った台風にも、青森県は屈しませんでした。新幹線という新しい大動脈を得て、移住支援という新しい武器も手にしています。それでも、静かに減り続ける人口と、コロナ前の熱気を取り戻せずにいる祭り。青森県の30年は、一度きりの災害から立ち直る強さと、ゆっくり進む縮小への向き合い方という、二つの異なる時間の流れが同時に進んできた歳月です。
この記事はMACHI.編集部が中立的な立場で執筆しています
他のコラムを見る