地域史
長野県、30年の物語――オリンピックが遺した「負の遺産」と、新幹線が呼んだ移住者たち
2026年7月23日
1998年2月、長野市で冬季オリンピックが開催されました。市はスピードスケート場「エムウェーブ」やボブスレー・リュージュ競技場「スパイラル」など、大会施設の整備に約1,180億円を投じています。しかし、その熱狂は長くは続きませんでした。開催からわずか2年後には、建設された競技施設のすべてが赤字経営に陥っていたのです。
最も象徴的なのが「スパイラル」でした。ボブスレーとリュージュという、日常的に使う人がごく限られる競技のための施設は、年間2億円を超える維持管理費がかかり続けます。長野市はついに2017年4月、競技施設としての運用そのものを断念しました。オリンピックの「負の遺産」という言葉が、そのまま当てはまる結末です。一方でエムウェーブは、10月から3月の26週間をスケート場として市民に開放し、それ以外の時期はコンサートや企業イベントの会場として使うことで、今も現役の施設であり続けています。同じ大会が生んだ二つの施設が、まったく違う27年を歩んできました。
このオリンピックが長野県に遺したものは、赤字施設だけではありません。大会の開催に合わせて、東京から長野までを結ぶ北陸新幹線(当時の長野新幹線)が1997年に開業しました。競技会場と長野市街地を結ぶ幹線道路の整備も進みました。この時に敷かれた交通インフラは、大会が終わった後も長野県に残り続けています。
そして今、この新幹線が新しい形で効いてきています。長野県への移住者数は2024年度に3,747人となり、前年比11.4%増、統計を取り始めた2015年以降で過去最多を記録しました。県は2027年に年間4,500人、2030年には1万人という移住者数の目標を掲げています。東京から新幹線で最短1時間半というアクセスの良さが、大会から27年を経て、移住先としての長野県の価値を静かに押し上げているのです。
もっとも、長野県の人口そのものは減少を続けています。2001年に約222万人でピークを迎えた後は減少が続き、2024年2月には200万人を割り込みました。2025年時点の人口は約197万4,000人です。移住者数が過去最多を更新しても、県全体の人口減少の流れを反転させるには至っていません。オリンピックが遺したインフラは、人口減少という長期的な課題に対する処方箋の一つではあっても、万能薬ではないということです。
赤字施設に苦しんだ27年と、新幹線が生んだ移住ブームの27年。長野県のこの30年は、一つの大会が持つ二つの顔を、そのまま体現してきました。施設は老朽化しても、そこに敷かれた線路は今も現役で、次の30年の移住者たちを運び続けています。
この記事はMACHI.編集部が中立的な立場で執筆しています
他のコラムを見る