石川県、30年の物語――新幹線が呼んだ観光客と、地震が奪った能登の日常

地域史

石川県、30年の物語――新幹線が呼んだ観光客と、地震が奪った能登の日常

2026年7月22日

2015年3月、北陸新幹線が長野から金沢まで延伸開業しました。開業前、鉄道会社は利用者が1.6倍程度になると見込んでいましたが、ふたを開けてみると実際には926万人、想定の3倍にあたる人が利用したといわれています。石川県が発表した観光入込客数でも、首都圏からの客だけで212万人増加。兼六園の入場者数は105万人増え、外国人入場者数は開業前の2013年の19万2,000人から2015年には29万2,000人へと急増しました。金沢市内では、近江町市場前で来訪者が前年比2.4倍、ひがし茶屋街がある東山では5.3倍という調査結果も出ています。城下町・金沢は、新幹線がもたらした「交流人口100万人増」という数字を、そのまま観光と経済の力に変えていきました。

しかし、この新幹線がもたらした好況の物語は、石川県全体を語る物語ではありませんでした。金沢から車で1時間半ほど北へ向かうと、能登半島という、まったく違う時間の流れる地域があります。

2024年1月1日16時10分、その能登半島を最大震度7、マグニチュード7.6の地震が襲いました。死者241人、全壊家屋8,027棟という、石川県にとって戦後最大級の被害です。輪島や珠洲を含む奥能登4市町の人口は、地震発生前の2023年12月末に5万8,225人でしたが、2025年11月末には5万674人まで減少。わずか2年足らずで13%が失われました。これは石川県全体の減少率(1.7%)を大きく上回る数字です。しかも、この減少は若い世代ほど顕著で、30代以下の人口減少ペースは他の世代の2倍に達しているといわれています。「仕事がないさかい」という被災者の言葉が、報道の中で繰り返し伝えられました。

新幹線が金沢に観光客を運び続けたこの9年間、能登半島は震災で日常そのものを奪われました。同じ石川県内で、片や交流人口が数百万人単位で増え、片や定住人口が数万人単位で減っていく。石川県のこの30年は、決して一つの数字では語れません。

復興に向けては、石川県が能登の被害状況や復興への取り組みを伝える動画やパネルを制作するなど、能登への関心を維持し続けるための発信が続けられています。金沢が新幹線で得た交流人口の力を、どう能登の再生につなげていくか。それは石川県のこれからの30年に残された、大きな課題です。

兼六園に足を運ぶ観光客が増え続けた30年と、奥能登の集落から人が減り続けた30年。金沢と能登、同じ県の中の二つの時間が、これほど対照的に流れてきたことを、私たちはあらためて知っておく必要があります。

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この記事はMACHI.編集部が中立的な立場で執筆しています

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