地域史
沖縄県、30年の物語――基地依存15.5%から5.5%へ、観光県への転換
2026年7月15日
沖縄県の経済は、長らく米軍基地への依存というイメージで語られてきました。しかし実際の数字を見ると、その構図はこの数十年で大きく変わっています。本土復帰直後の1972年度、沖縄県民総所得に占める米軍基地関連収入の割合は15.5%でした。それが令和元年度には5.5%まで低下しています。一方、1978年以降は観光収入の割合が基地関連収入を上回るようになり、今では観光がおよそ10%前後を占める、沖縄経済の主役へと成長しました。基地関連の雇用者数も、復帰当時の約2万人から2014年には8,868人まで減少しています。
この転換を象徴するのが、米軍基地返還跡地の活用です。那覇市の旧・牧港住宅地区を含む「那覇新都心地区」では、返還前の経済効果が52億円だったのに対し、全面返還後の平成25年調査時点では1,634億円と、約32倍にまで増加しました。基地があった土地が、まちの新しい中心地に生まれ変わったのです。基地に依存する経済から、観光と都市開発を軸にした経済へ。沖縄県のこの30年は、この転換を実際に数字で証明してきた歳月だったと言えます。
その一方で、経済的な自立が進んでも、基地そのものが沖縄から大きく減ったわけではありません。全国の米軍専用施設の多くが今もこの狭い島に集中しており、経済構造の変化と、基地そのものの存在という二つの現実が、今も同時に沖縄県に横たわっています。
そんな沖縄で、琉球王国時代から受け継がれてきた祭りがあります。「那覇大綱挽」です。起源は1450年頃にさかのぼり、農村の雨乞い行事としての綱引きとは異なり、交易都市・那覇を象徴する「町方の綱」として発展してきました。第二次世界大戦により1935年に一度中断しましたが、本土復帰前年の1971年、市制50周年記念事業として復活しています。1995年には「米藁で製作された世界一の綱」としてギネス世界記録に認定され、最終的には全長186メートル・総重量約40トンという記録を打ち立てました。中断を乗り越えて復活し、世界一の規模にまで成長したこの綱挽きは、沖縄県民の誇りそのものです。
基地依存15.5%から5.5%へという静かな転換と、32倍に成長した跡地経済。一度途絶えても復活し、世界一の規模になった綱挽き。沖縄県のこの30年は、数字の上でも、伝統の上でも、逆境から力強く立ち上がってきた歳月でした。
この記事はMACHI.編集部が中立的な立場で執筆しています
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