地域史
新潟県、30年の物語――中越地震で人口が3分の1になった村と、慰霊の花火
2026年7月15日
2004年10月23日17時56分、新潟県中越地方を震源とするマグニチュード6.8の地震が発生しました。川口町(現長岡市)で震度7、小千谷市と山古志村・小国町(いずれも現長岡市)で震度6強を観測し、死者68人、負傷者4,805人、全壊家屋3,175棟という被害をもたらしました。避難者数はピーク時に10万人に達しています。
中でも大きな被害を受けた旧山古志村は、その後の20年で人口が大きく変わりました。発災前に2,100人だった人口は730人まで減少し、高齢化率は34.6%から57.0%へと上昇しています。震災は一瞬の出来事でしたが、その後の人口減少という影響は、今も静かに続いているのです。それでも、山古志は新しい形で「関わってくれる人」を増やす試みを始めています。2021年、電子住民票の機能を持つデジタルアート「Nishikigoi NFT」の取り組みがスタートし、この電子住民票の発行数は2024年9月時点で3年間で1,700人を超えました。物理的にそこに住む人口だけでなく、山古志と関わり続ける人を増やす。そんな新しい形の復興が模索されています。
新潟県には、震災よりもさらに前、戦争の記憶と結びついた祭りもあります。「長岡まつり大花火大会」です。1945年8月1日の空襲で市街地の8割が焼失し、1,480人あまりが命を落としました。その1年後の1946年8月1日、犠牲者への慰霊と、街の復興を誓う「長岡復興祭」として花火大会が始まったのが起源です。今も花火大会の冒頭には、空襲が始まったのと同じ午後10時半に、慰霊の花火「白菊」が3発、白一色で打ち上げられます。市内の寺院では鐘が鳴らされ、戦争の悲惨さを忘れないための時間が今も守られています。日本三大花火の一つに数えられるまでに成長したこの花火大会は、平和への祈りという原点を80年間、一度も手放していません。
2,100人から730人へと減った村と、そこに新しい形で関わろうとする1,700人の電子住民。80年前の慰霊から始まり、日本屈指の規模に成長した花火大会。新潟県のこの30年、そしてその前の80年は、失われた人と場所を悼みながら、新しいつながりの形を探し続けてきた歳月です。
この記事はMACHI.編集部が中立的な立場で執筆しています
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